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公所由来

2010/05/04

 公所という地名の起源は、いつ頃、誰が命名したのか正確なところは定まっておらず、想像の域を出ていません。大和市のほか神奈川県内には同じ地名が厚木市と平塚市の2箇所にあります。このほか公所と同じ意味を持つ「久所」と呼ぶ地名も相原市大井町、中井町に在ると云れます。中郡の郡勢誌の中に「公所は関の所在地を意味するもので“役所関”」とあります。また、「 庭訓(ていきん)往来(おうらい)」には公所の出仕諸亭と経廻と記るされています。

 元歴元年(1184年)、源頼朝が政権の基盤を固めるため「公文所」や「問注所」を地方にも設置し、幕府からの政令の公布、訴訟や租税を取り扱うようになり、街道の要所では関所を兼ねていたようです。私たちの住む公所には鎌倉古道、滝山街道、江戸道の形跡が残っており、「仕置場」「精進場」「牢場」という所も在ったと云われています。

 また、現在ある公所浅間神社は、その昔、鶴間神社とか鶴舞神社と呼ばれて鶴間郷(鶴間:町田市、上鶴間:相模原市、下鶴間:大和市の総称)の総鎮守であることが養和奉幣記(1181年)や文亀神名録(1501年)に“右大将源頼朝、鎌倉入国の後、相模国式内外合わせて61箇所の旧社へご祈願これ有り、養和元年霜月吉日、作原十郎殿御代参巡拝、神馬壱疋奉納の霊社なる。その後、京都神祇官公文所調べ置くるる所の文亀名禄に記し有りと、また御臺所の御懐妊の砒り安産を祈願された”と記されています。一方、国道16号線沿いの元の神社の境内には、源義経の隠し財宝があるという伝説もあり、鎌倉時代からの由縁を彷彿とさせます。

 公所という地域は営農が盛んな土地だったので、農事にまつわる行事が数多く見られました。たとえば、公所の辻々には道祖神が祀られていて、そこでは公所の地に悪病神が入ってこないよう“無病息災”を願う“どんど焼き”が行われていました。昨今はまとめて浅間神社で “どんど焼き”が行われ、“左義長”と呼ばれる行事となっています。また、定方寺の大般若祈祷会、稲荷講、大山講、地鎮講などがほんの最近まで行われていました。

監修:佐藤 利雄